!!研究と囲碁 は似ている.相手は自然である.まず,棋士に棋風があるように研究者にも棋風がある.どれがよいというのではなくて,どれでもそれなりに一局になる.ただし,特徴的な棋風がないとこの業界で生き残れない.我々は機械ではないのだ.勝敗は終局までたどり着いたときの陣地の多さで白黒をつけるが,先番はコミの分だけ余計に陣地をとらないといけない.コミを勝手に設定できるとすると,ある意味で勝敗はあいまいである.科学に完璧に正しい理論というのはありえない.どこかに問題の設定なり,仮定なりが存在する.その"コミ"を考慮して勝敗を決めるわけである.そこは王様を取れば勝ちになる将棋とはちょっと違う. 囲碁の序盤は布石と呼ばれ,棋風がもっとも如実に反映される.そこでの構想がその碁の全体的な雰囲気を作る.最初の腕の見せ所である.定石ばかり打ち続けていると,それはつまらない碁にしかならない.研究も似たりである.その後,中盤の戦いでは手筋と呼ばれるテクニックを随所に展開し,最終的にヨセて終局に至る.手筋を外すと,そこで敗北が決まることが多い.ひどいときには終盤に至る前に中押し負けになる.研究ではこうなることがほとんどである.定石を知らないとすぐに負け碁になるし,よい手筋をもっていないとダメである.めでたく終局に到達すると,論文という棋譜を残すことができる.序盤(布石)・中盤(戦い)・終盤(ヨセ)のどこかがダメだと失敗である.研究者はよい棋譜を残すために日夜苦しんでいる.やはり,しっかりと勝った碁でないとよい棋譜とは言えないだろう.我々は先人の棋譜から多くのことを学ぶように,自分の棋譜も後生の人への知見として残す必要がある.棋譜が残せないものは研究者にはなれない.もっとも囲碁では中押し負けの棋譜も残るわけだが,我々の世界では「中押し負けの棋譜」は世の中に公開されることは無くて,自分の研究ノートの中(と心の中)にだけ残る. いずれにしても,好きでないとうまくはならない.好きなだけではうまくはならない.うまくてもつまらない棋譜ばかりではダメ.いろいろと難しい...なぜこんな駄文を書いているかというと,あちこち八方塞がっていて,明後日の研究会の発表資料を作るのも嫌になっているからである.たまにはオセロでもして,白黒はっきりつけて気分をよくした方がいいかもしれない.