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今日の一言/2013-3-9

最終講義

尊敬している人は誰ですか?

この素朴な質問は答える人の人間のレベルが問われるよい問いである.子供の頃「ビートたけし」と答える人が多くて問題視されたのが我々世代である. 身近な人である両親は答えやすい解であるし,自分もその答えが第1感である.一方,アインシュタインとかランダウとか偉人までいってしまうとなんだか雲の上の存在過ぎて,何を意味しているのかよくわからない気もする.その中間あたりにも尊敬する人はいるわけで...

私が招待もされない最終講義に出向くのは,この中間の...しかし科学者として猛烈に 尊敬する実在の人物への,私なりの最大限の敬意を表することが目的なのである.今年は物性研の上田先生と,今日,青学の久保健先生の最終講義に参加した.どちらの先生も,協同研究をしたわけでもなく,また指導されたわけでもなく,こちらから勝手にお慕いしただけの「間柄」である.まったくもってして,私の勝手な個人的感情のままに押しかけているわけで,迷惑千万なのであろうが,押しかけているこちらとしては,まあそんなことはお構いなしに,これまでの個人的な思いにふけらせてもらっているわけである.これって,ストーカー??

水曜日の上田先生の最終講義では物性研の大講義室が満杯であふれる人が集った.人望の大きさがうかがえる素晴らしい最終講義であった.だいたい私などのよくわからない人も来てしまうわけだから,あふれるわけである.今日の久保先生の最終講義も満杯であった.多くは青学の卒業生であったようである.筑波大時代の久保先生しかしらない私にとっては,全く知らない久保先生の側面を知る機会であった.講義の後で,最終レポートの提出があり,私の思い出を書き綴ったが,それはまあどうでもよいことである.お弟子さんたちには脈々とそのエキスは伝承されることであろうとは思うけど,なんというか科学をする文化はもっと太く継承されていくものだと改めて思う一日であった.自分も若い人に尊敬される人間にならねばと強く思う一日であった.

別に,個人的に尊敬されたいわけではないのであって,こういうなんとも言えない文化の継承を担う人間にはなりたいと思うわけである.退官を迎える大先輩でなくても,近々にも尊敬する先輩はいるわけで,若い人にもそう思われる存在でありたいと思うのである.「精一杯がんばります」とはあるプロの囲碁棋士のブログの締めくくりの言葉である.最近なんとなくその心境がわかる気がする.私も精一杯がんばります...と思っていたら,「そんなんじゃだめだ!」と,今日,ある先生からお叱りを受けた.気合の入れ方はそんなあいまいじゃなくて,「何月何日までに論文を一本書く」でしょと.ああ,帰りの電車でこんな駄文書いてなくて,原稿に赤をいれなくては...

 



      

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最終更新時間:2013年03月10日 00時25分45秒